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『往生際の意味を知れ!』米代恭著 評者:川勝徳重【このマンガもすごい!】
2022-09-30
『往生際の意味を知れ!』米代恭著 評者:川勝徳重【このマンガもすごい!】

 元恋人への愛が執着となり、しまいには「元恋人を愛する自分」がアイデンティティになってしまう。そんな人は多いことだろう。何を隠そう評者もその一人だが、こういう恋愛を描かせたら米代恭(よねしろきょう)は本当に巧い。本作の物語はこのようなものである。

 映像作家の市松海路(かいろ)は、21歳の頃に被写体である日下部日和(くさかべひより)と1ヵ月間だけ交際していた。突然別れを告げられた彼は、絶望し、映画が撮れなくなり区役所職員となる。その後7年もの間、残された写真や映像を繰り返し視聴することで自我を保ってきた。だが、ある日、落雷でアパートが全焼。思い出の品々やデータを失ってしまう。拠り所をなくした彼は跨線橋から飛び降り自殺を試みる。そのとき日和から着信が入り、奇妙な頼み事をされる。精子を提供してもらい妊娠することで、実母への復讐をするというのだ。

 物語の設定はさらに複雑であるが、それを文章で追っても意味はないだろう。米代作品の魅力は、主人公の執着の強さとヒロインの聖性が生み出す迫力自体にある。

 作中の日和は顔こそ可愛いが、20代半ばにしては服の趣味が少々芋っぽい、虚言癖のある女だ。しかし市松の眼を通した日和は天変地異をも引き起こす。

 市松がはじめて日和に会ったとき、雷が落ちる中、彼女はビルの屋上で踊っていた。だから日和が7年ぶりに電話をかけてきた日には雷が落ちる。彼女の声が電話から響くと、雲の切れ間から光がさす。動揺すれば雨が降るし、窓ガラスは割れる。まるで聖人のようだ。なにより、彼女は処女懐胎する。

 日和の眼は聖母マリア像のように細く閉じられることが多く、まつ毛は顔の輪郭をはみ出るほど異様に長く描かれている。時々開かれる瞳は、鉱物が光を受けて乱反射しているかの如く描写される(米代の描く瞳は実に変化に富む)。

 市松は7年の艱難時代の間、絶えず不在の人物を想い続けた。その持続には単にフラれたから悲しいという以上の決意があったはずだ。そこに至るまでに色々なことを想像し、妄想し、計算し、狡猾になったのだろう。それが加害性に転化する様子が最新の5巻に描かれている。

 そこでは市松に恋する女性が準主役となる。彼女とキスする際に「チョロくて最高」と思う市松の痴態にはどこか哀しみがつきまとう。その場面は横浜の花火大会を背景に描かれるが、花火は人の手によって打ち上げられる現象でしかなく、日和の引き起こす気象現象の数々には遠く及ばない。

 市松は精子提供といったデリケートな話題をすぐ人にしゃべるし、日和に関する相談があるときだけ友人に連絡を取るような男だ。作者はこういう情けない男性の心情がよくわかるなと感心する。

 インタビューによると、この二人の名前は「待てば海路の日和あり」から取られたという。この諺通りに、市松の恋路は上手くゆくのだろうか? どちらにせよ、評者は市松くんの幸福を心より願っております。


(『中央公論』2022年10月号より)


【評者】
◆川勝徳重
漫画家

ソース元URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/a67f45cd26d8822493b0002c7839519074eea700

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