「時給1,200円より絵1枚の時給が安かった」。ジミー大西が語る、休筆から画業復活までの軌跡

お茶の間の人気者だった「ジミーちゃん」は、いかにして画家になったのか。何を思い、創作に没頭し続けてきたのか? 2015年にいったん筆を折り、再び描き始めるまでに何があったのか? 2022年4月27日から全国巡回の作品展『POP OUT」がスタートするジミー大西に、これまでを振り返ってもらった。
―画業30周年、おめでとうございます。あらためて、ジミーさんが絵を描き始めたきっかけを教えてください。
ジミー:20代のころ、さんまさん(明石家さんま)の運転手をやっていたんです。ある日、さんまさんの家のリビングで娘のIMALUちゃんとお絵描きをして遊んでいたら、さんまさんに「ジミーお前、変わった絵を描くな」と。そのとき、たまたまタレントが絵を描いて出品するオークション番組の企画があって、さんまさんが推薦してくれました。
ただ、ほかに出品するのはみんなうまい人たちばかりだったんで、ぼくの絵はあくまでオチとして使われるはずだったんですけどね。
―ところが、思わぬ高評価だった。
ジミー:はい。33万円の値段がつきました。その金額については特になんも思わなかったんですけど、後日、その番組宛てに岡本太郎先生から手紙が届いたんです。そこには「キャンバスからはみ出せ」という言葉が書かれていました。
太郎先生にメッセージをいただいたときは、「よっしゃあ、自分の人生、これで変えたろ」と思いましたね。この言葉をどんどん模索して、絵を描いていこうって。
それで、さんまさんに相談したら、「とりあえず、いまのレギュラー番組に迷惑がかかるから1年間はタレントを続けなアカン。もし、1年経ってお前がまだ絵を描きたかったら、海外に行くなりしたらええ」と言っていただき、道をつくってくれはったんです。