「夢と希望へ人生変わった」 天王寺夜間中学で学んだ女性卒業

日本人男性との結婚のため、平成2年に韓国から日本に来た。当時、日本語はまったくわからず、本で独学したが、日本語が必要な場面ではいつも夫が横にいた。その夫が病気で亡くなると、一人で時間をつぶすだけの生活に。「これ以上生きていてもいいことがないと、完全に人生をあきらめていた」と振り返る。
そんな日々が、天王寺夜間中学との出会いで一変した。見学に行った際の授業体験では鉛筆や消しゴム、プリントなど必要な教材を用意してくれ、先生や生徒たちが何かと気遣ってくれた。「こんなやさしい世界があるんだと感激」し、28年4月に入学した。
6年間、ほとんど休むことなく登校した。在学中を通して生徒会の役員を務め、うち4年間は生徒会長に就任。令和元年6月の創立50周年記念式典では、大勢の関係者を前に、歴史の重みを感じながらあいさつを述べた。「一人で過ごしていた頃からは考えられない」とほほ笑む。
新入生歓迎集会、夏まつり、運動会、作品展…。さまざまな行事を経験し、他校の生徒との交流は「いろんな話を聞いてすごく勉強になった」。だが新型コロナウイルス禍でこの2年間は多くの行事が中止に追い込まれ、入学当初はほとんど埋まっていた教室も、感染不安などで登校を控える生徒が増えて空席が目につくように。「早くコロナが終わってほしい」と願う。
一つ学べば、一つ新しい世界の扉が開くと実感できた学校生活。「勉強が楽しい。死ぬまで勉強したい」と話し、4月からは定時制高校に進学する。できれば大学にも進みたいと考えているという。
その夢と希望を育ててくれた大切な学校が統廃合の対象になった。市教委は、令和6年春に不登校特例校を旧日東小学校(浪速区)に開校し、新たな夜間中学を併設。天王寺、文の里の両夜間中学をなくして生徒たちには新たな夜間中学に移ってもらう計画で、実現すれば市内に4校ある夜間中学は3校になる。
昨年11月に計画の説明を聞いた際は「胃が痛くなり、息が苦しくなった」。生徒たちは家族の介護や仕事、体の不調などそれぞれの事情を抱えながら、交通の便が良い天王寺夜間中学に通学しており、新設校に通うのが難しく学校を辞めざるを得ない生徒が出る可能性がある。
今月11日の卒業式では母校への感謝とともに存続を願う気持ちを熱く語った成さん。「この歴史ある学校で人生が変わった人はたくさんいる。これからもいる。私たちの大切な学ぶ場を奪わないでほしい」と話している。
大阪市立天王寺中学校夜間学級
戦争や貧困などさまざまな事情で義務教育を受けられなかった人たちが通う夜間中学について、昭和41年に当時の行政管理庁が早期廃止勧告したのに対し、東京の夜間中学を卒業した高野雅夫さん(82)が全国行脚して反対。夜間中学のなかった大阪市では設置を訴え続け、44年の天王寺中学校夜間学級の開設につながった。卒業生は今春の11人を含めて1283人に上る。