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櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:自己救済としての表現
2022-06-05
櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:自己救済としての表現

 アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の舞台になったこともあり、「聖地巡礼」が盛り上がりを見せる静岡県沼津市。駅から歩いて20分ほど南下した場所に、「焼肉ペテコ
本田苑」という閉店した焼肉店がある。シャッターの上がったガラス窓から店内を覗くと、数々の色鮮やかな絵画が立てかけられている。

 「空いた所があると、そこの部分が空洞になったような気がして落ち着かないもんですから、どうしても色を置きたくなります」。


 そう話すのは、この店の店主であり、こうした作品群の作者である本田照男(ほんだ・てるお)さんだ。本田さんの案内で、入店して驚いた。客席には足の踏み場もないくらいの膨大な作品や画集が散乱し、アトリエと化している。吊り下げられた鞄や山積みになった靴など、あらゆるものが本田さんの手にかかれば作品になってしまうようだ。「本当は壁全体に描いてみたいんだけど、お金が無くて」と微笑む。画材や作品であふれた机と机の間に置く板が机がわりになっていて、その場所が僅かな制作スペースになっている。本田さんは椅子に腰掛けて、ゆっくりとその半生を語ってくれた。


 本田さんは、1946年に静岡県西伊豆町で3人きょうだいの長男として生まれた。両親は衣料品販売の行商をしていたため、不在のことが多く、小さい頃から山や川で遊ぶことが多かったようだ。


「小学校1年生のとき、自分を見る周りの視線が他人とは異なっていることを感じました。そのときに、母は宮崎県日南市出身なんですが、親父は韓国の南端に浮かぶ済州島の出身だったので人種差別を受けていることに初めて気づいたんです」。


 学生時代は日韓の歴史書を読むなどして、次第に人権問題へ関心を寄せるようになった。「法律を勉強して差別を受けた人の弁護をしたい」と高校卒業後は、専修大学法学部へ進学。途中で弁護士の道は挫折してしまったが、法学部の仲間に誘われて、大学時代は詩吟に熱中し、青春を謳歌した。


 「田舎から出てきて最初の授業のときに、大学教授が日本国憲法の話をしたんです。平和憲法であるから大切にしなければいけないことを説くいっぽうで、君たちは労働者階級で資本家たちから搾取されていることを教えられました」と語る。ちょうど時代は各地で大学紛争が起こり始めていた頃。本田さんも詩吟を嗜みながら、少しずつ大学紛争の波へと巻き込まれていったようだ。


 「大学卒業後は自分の出自の関係で差別を受けて、就職先がありませんでした。伯父が大阪で焼肉店をやっていて、面白そうだなと思ったんです。その準備のために、知人の紹介で六本木にあるレストランでコックとして働き始めたんですが、身元調査を受けて1年ほどで辞めさせられたんです」。


 その頃になると、両親の行商も通信販売の台頭により経営が下火になり、両親からも度々「何とかならないか」と相談を受けるようになった。そこでかねてから憧れていた焼肉店を沼津市で開業することを決意し、沼津市で昭和44年4月4日に「焼肉ペテコ
本田苑」を始めたというわけだ。「ペテコっていうのは、フランス語で新米という意味です。でも4が続いて縁起が悪かったもしれませんね」と笑う。最初の2年ほどは妹と2人で店を切り盛りした。25歳の頃には、学生時代から交際していた2歳年上の女性と結婚し、やがて2人の子供を授かった。結婚した頃からは、3歳下の弟と妻との3人で店の経営を行うようになったようだ。当時は、焼肉店の数も少なかったこともあり、段々と店は繁盛していたようだ。そんな本田さんに2つの大きな転機が訪れる。


 「女房が横断歩道を渡っているとき、交通事故に遭い、瀕死の重傷を負ってしまったんです。意識がない状態でしたが、回復して面会に行ったら『アメリカへ留学したいから暇を下さい』と言ったんです。一度決めたら頑として譲らない女性だったから、彼女の決断を受け入れて50代後半で離婚し、子供たちの親権も彼女が持つことになりました」。


 もうひとつの転機は、本田さんが66歳のときに訪れた。一緒に焼肉店を経営していた3歳下の弟が心不全で突然に他界。その後、2001年からの国内での狂牛病騒ぎや2012年4月から医薬業界、医師への過剰接待禁止が強化されたことも客離れにつながっていった。妻子を失った寂しさもあり、ひとりで店を続けることが難しくなり、半世紀近く続けた焼肉店は、2013年にその幕を閉じることとなった。


 そんな本田さんが絵を描き始めたのは、60歳になったある日のことだ。まだ焼肉店を経営していたとき、知人に向けて手紙を綴っているとNHK「ラジオ深夜便」からバッハの「マタイ受難曲」が流れてきた。勝手に手が動き出し、音楽に合わせて自動筆記で描いたこともないような絵を描き出したようだ。「それまで絵なんて描いたことがなかったから本当に驚きました」と当時を振り返る。その絵を手紙に同封して送ったところ、知人から「面白い絵を描くね」と称賛され、12冊の名画集をプレゼントされた。ピカソやカンディンスキーなど様々な画家の存在を知る中で、とくにパウル・クレーの画風に魅了され、そこから毎日絵を描き続けている。


 使用しているのは、アクリルやペン、墨、チョークなどあらゆる画材で、下描きなどせず画面に直接描きこんでいく。主な題材としているのは、小さい頃に遊んだ山や川といった本田さんの心に残る原風景だ。2011年からは県内のギャラリーなどで個展を開催したり公募展に出展たりするようなったが、本田さんによれば、すべて自分の意思ではなく知人からの勧めで発表しているらしい。「描かずにはいられない」という衝動が、本田さんの制作を後押ししている。


 「絵は売れないし、発表するたびに額が必要になってくるため、個展をすれば赤字になってしまいます。国民年金とわずかな家賃収入が収入源の全てですから、赤貧の暮らしを送っています。焼肉屋で働いていた頃の生活リズムが身体に染み付いているので、昼ごろ起きて時々仮眠しながら1日中ずっと描き続けていますね。描いて続けていると、1年に1~2回ほど、ピカソやベートーベンなど先達の人たちが自分に語りかけてくれる瞬間があるんです。そのときに生きてて良かったと感じるんですよね」。


 38歳のときには心臓を患い、成功率2パーセントという生死を彷徨う大手術を受け、現在でも体の中には人工弁・人工血管が入っているという。手術前夜に、「もし助かることができたら、1分1秒を大事にして生きていこうと決心したんです」と教えてくれた。その後、本田さんは離婚や弟の逝去、そして焼肉店の閉店など、度重なる不幸に見舞われてしまったが、自分の心を奮い立たせるために絵を描き続けてきたように思える。毎日手を動かして創作を続ける日々の生活リズムこそが、本田さんの精神的な拠り所になっているようだ。


 「心の深層では差別は克服されておらず、未だ理不尽な思いを抱えて生きています。現在でも自分は『根無草』だと感じており、差別や人種を超えて平和でありたいと願っています。そのためには、みんなに絵を描いて欲しいんですよ。丸・三角・四角さえ描ければ、絵を描くことができるんです。一緒に絵を描くことで、そうした小さな喜びを人々へ与えていくことをしていきたいですね」。


 あくまで自分は素人だと自認し、誰でも絵を描けることを伝えるために、本田さんは抽象画を描き続けている。ぎりぎりの生活を続けながら、寝食も忘れ、絵のことだけを考えていく暮らしの姿がここにある。2021年に発表された政府の骨太方針(経済財政運営と改革の基本方針)の中で、孤独・孤立対策の施策として「社会的処方」を活用していくことが明記された。薬でなく「社会的な繋がり」を処方することで社会的孤立を解消し、問題解決を図ろうとするこの「社会的処方」は政府の重点課題になっているが、本田さんが行っているのはセルフケアとでも言うべき自己救済なのだろう。


 後日、取材のお礼として本田さんから手紙と作品が送られてきた。綴られていたのは、訪問に対する溢れんばかりの感謝の思いだ。こんな風に一期一会の出会いを大切にする本田さんだからこそ、個展や公募展への出展などを勧める支援者が周囲には多いのだろう。地位や名声を求めてはいないけれど、なんとか作品が広まってほしい。僕もそんなことを願っている。

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ソース元URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/0c0de676d48f451c23ae90bfe5824e264caf9699

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