江戸期史料に「村上海賊」 当時では珍しい表記 愛媛・今治で展示

写真パネルで示されているのは久留島(くるしま)家(来島村上家)に伝わった「旧記集」の一部。1810(文化7)年成立とされる。室町・戦国期に瀬戸内海西部で活躍後、豊後(大分)・森藩主となった一族の系譜を後世にまとめている。この中で「伝えによると、村上海賊は伊予河野氏の家臣である。天慶2(939)年の藤原純友(すみとも)謀反の時、河野好方(よしかた)は錦の直垂(ひたたれ)を賜って海上の先駆けをした。この時(河野家臣の)村上が船軍を飾って勝利を得た。これが(村上)海賊の起源である」との概要で、藤原純友側を河野好方の軍勢が破った海戦を海賊の始まりと位置づけている。
ミュージアムの松花菜摘学芸員によると、江戸時代までに「村上海賊」とひとつながりに記した史料は記憶にないという。もともと、古文書に村上家を「海賊」と記した例では1434(永享6)年、幕政全般に携わったとされる京都・醍醐寺座主が記した「満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)」に「備後海賊村上」の記述がある。また、1462(寛正3)年の東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)では、愛媛・弓削島を荘園とした京都・東寺(教王護国寺)の僧が「小早川一族の小泉方と海賊の能嶋(島)方、山路方が無理やり(弓削島を)奪っている」と語ったことが記録されている。
今回の「旧記集」は江戸期に村上家の由緒をまとめ直したものだが、他にも村上家について分析を待つ江戸期の文書は多いという。松花さんは「1次史料と照らし合わせて考える必要があるが、由緒を作成した意図や経緯を丁寧に検証していくことは、当時の歴史認識や、現在に至るまでのイメージ形成過程の理解につながる」と話し、研究を進める考えだ。
巡回展は8月28日まで今治市村上海賊ミュージアム▽9月23日~10月23日、広島県尾道市・おのみち歴史博物館▽10月28日~11月30日、同市・因島水軍城。【松倉展人】